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2007年03月10日

●手紙

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静香、一生大切にするであろう手紙を受け取ったのは一昨日。
プチプチに包まれた柔らかな封筒のなかは便箋がたくさんだけ。
守っていたのは静香が込めたエネルギーだと信じています。
それは、私残らず受け止めた自信があるよ。

そんなに水の中で暮らしていたら、エラが生えてきそうだね。
でもよかった、本当に元気そうだと思ったよ。
書くことは生きること、生きているから書けること
静香の101通目の手紙が誰かのハートを打ち抜きますように。

昨日私の大事な友達が来て、ひとしきり泣いて帰りました。
正確に言うと涙をこぼしていたのは5分くらいなんだけど
そのあと映画を見て、仕事の話をして、筋肉としては笑って
ていうか、とか駄目じゃんとか、とはいってもさーとか
そんなことをつらつらと口にしていたものの
2時間たっぷり悲しんで帰りました。
生姜湯しか私の家には彼女を暖めるものがなくて
ハーゲンダッツは食べてもらえませんでした。
詳しい事情は省きますが、大切な方が命を断たれたそう。
私は命の大切さについては良く分からないけれど
気持ちの大切さは染み込むほど分かっているつもりだから
声をかけることもできませんでした。せめて生姜湯作るくらい。

またもうひとところで、あの友人は今まだ病み続けていて
こないだ早朝に眠りながら自覚なく車を運転して
ミニストップに行ってチョコパイとポテチとタバコを買って
家に戻ることはできたけど駐車し損ねて派手に自宅に突っ込んで
その衝撃で驚いたお母さんが朝4時にもかかわらず飛び出してきて
でも本人はまったく覚えてなくて気がついたら昼、車は工場行き
自分は机でポテチを食べていた、なーんて事件があったとのこと。
泣かせるのは、お母さんが二度とこんなことが起こらないようにと
それ以来チョコパイを切らさないように買いだめしているそう。
修理代45万とか、いまだに起きてこれない友人の身上もさておき
なによりもそのチョコパイについて思いをめぐらせると
体が芯からよじれるような胸が詰まる思いでいっぱいになります。

静香が波乱万丈に出演できるくらいファンタジックな
1Weekを過ごしていた頃、世間ではこんなことがあったのです。
私はネコヤナギを水揚げしたりしながら穏やかに暮らしています。
日々の春に気がつくくらい今日と明日に差のない暮らしです。
とはいえ、本当に時間が内包している世界の出来事は
予想がつかないくらいめくるめいていて、長文になってごめんね
私は静香が心地よく暮らしているといいなと願うわけです。

パリの仏像に似ている顔の男の子、ちょっと心当たりがあるから
私次に会うときにはあのはがきを持って見比べてから連絡する。
それから、兎男は追うんじゃなくて追わせるが吉だと思う。

あなたの住所が家出先から一人暮らし先に戻っていて、ホーム、
それが定まっている今日はちったあ穏やかだろうと想像し
ホームから出かけてデートをしてホームに帰る、そんな日が
また私たちに訪れますように。

うん、またね 手紙を書くよ 約束するよ 未来見たくて 傲慢許される春

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コメント

悠ちゃん

私の手紙、こんな風に受け取ってくれて本当にどうもありがとう
ものすごく、嬉しかった

なんだか書きすぎて便箋がぴたりとおさまる封筒がなくて、プレゼントもなくて、そのまま送ってしまったけど、届くんだね言葉って

距離なんて、感じないね

悠と送りあいっこする言葉も、ほかにもたくさん大切な人に贈りあいっこする言葉も、日々ちゃんと繋がって、すごいだね言葉って

って本当に思うよ
そしてそれにどれだけの心をこめられるかってこと

悠の言葉に耳をすましていると、あははって自然と笑えて、にこにこってなるよ
私は病気になってから、どんどんいい顔になっている、のだそうです
悠やみんなのおかげです

住まいも4月から改めるので、ぜひお泊りにきてね
働き方も住まいも衣服のきこなしも男性とのお付き合いも含めて全て整理しなおし、暮らし方をいっぺんするころに、巴里の仏像さまに出逢える気がする今日このごろ

今日もいちにち、私は小説を書いてるだけで終わりました

時間の軸は、自分の中だけに在るのね

だいすき、ありがとう

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